
ああもう、なにもかもうまくいかねぇ



こんなに必死になって頑張ってるのに・・・



随分とツラそうじゃねェか



は、話くらいなら聞いてあげてもいいんだからね!



いや、まあ・・・



なんというか、頑張る意味があるのかわからなくなってきた・・・



にゃるほどなァ



そんなら今日は、“頑張りは報われるのかどうか”について話してやるァ



心して聞けェ
To Be Continued…
どうも、よでぃです。
今回は『頑張りは報われるのかどうか』という記事を書いていきます。
当記事は、以下の方向けのものとなっております。
- うまくいかないことばかり
- 頑張ることに疲れた
- 頑張りが報われるかどうか不安
この記事を読めば、頑張りが報われない苦しみが和らぎます。
ぜひ最後までお読みください。
それでは、どうぞ。
「頑張ることこそ美徳」という風潮


「頑張っているのに報われない」
「なにをやってもうまくいかない」
そう嘆いてしまう瞬間が、誰しもあるのではないかと思います。
このまま頑張っていても意味があるのだろうかと、不安になってしまいますよね。



もう頑張るの疲れた・・・
そこで、僕はこう思うのです。
今の世の中は、“頑張ること”を押し付けすぎではないかと。
「頑張れば報われる!」
「諦めなければうまくいく!」
そんな根拠のないポジティブワードが、美化されすぎているのではないかと。



もっと前を向いて生きていこうぜ!!!



ヒェッ・・・圧が強いネコこわい・・・
僕は、こういった「頑張ることこそ美徳」という風潮が、多くの人の心を苦しめているような気がしてならないのです。
頑張りは必ず報われる?
そもそも、頑張りは必ず報われるものなのでしょうか。
この問いに対する僕の答えは「NO」です。
人生において、どんなに頑張っても報われないシーンはどうしてもあります。



解 せ ぬ
たとえば、高校野球を例に挙げて考えてみましょう。
もしも頑張りが必ず報われる世界線であるならば、甲子園に出場する全チームが優勝旗を手にしていることになります。
しかし現実問題、そんな状況は天地がひっくり返ろうとも起こりえません。
勝利があれば、敗北がある。
報われる人がいるならば、そこには報われない人も存在しているのです。



“表”が存在する限り



必ず“裏”も存在しているのが世の理よ



“表裏一体”ってやつか・・・
では、優勝できなかったチームが努力をしていなかったのかというと、そんなことはありませんよね。
血のにじむような努力を毎日のようにくりかえし、青春の大部分をかけて練習やトレーニングに励んでいるはずです。
ですがそれでも、精一杯がんばったからといって、必ず望み通りの結果を得られるわけではないというのが現実なのです。



辛辣すぎる・・・
もちろん、「大会で優勝することがすべてではないだろう」という言い分もわかります。
ただ、“結果”という部分にだけ焦点を当てて考えるのであれば、ときに頑張りが報われない瞬間に見舞われることだってあるという話でございます。
結局なにがいいたいのかというと、人生における成功か失敗かの“結果”を分けるのは、各個人の努力だけでは決まらないということです。
結果とは、運や才能、遺伝や環境など、ありとあらゆる要素が関与して決定づけられるものなのです。



だからこそ



報われないからといって、自分を責めすぎる必要はねェんだけどな



ネッコ・・・
これはスポーツにおいてだけでなく、仕事や勉強、人間関係など、日常生活における様々な場面において言えること。
自分なりに頑張っているはずなのにいつまでたっても報われず、どうすればいいのか正解がわからなくなったときに、人は悩みを抱えるのです。
頑張れば頑張るほどツラくなる
また、皆様にもう1つ知っておいてほしいことがあります。
それは、『頑張れば頑張るほどツラくなる』という事実です。
人がへこむのは、期待通りの結果が得られなかったとき。
そして、頑張れば頑張るほど“結果への期待値”が膨れあがっていき、思い通りにいかなかったときのダメージが大きくなってしまうのです。



風船が大きくなればなるほど



破裂したときの衝撃がでかくなる、みたいな?



めちゃくちゃそんな感じ
にもかかわらず、「つらい」と弱音を吐くと
「頑張りが足りないんじゃない?」
「もっと頑張れよ」
などと、追い打ちをかけるかのごとく“頑張ること”を押し付けてくる人は世の中にごまんといます。
ですが、つらくなる原因は“頑張り不足”ではなく、むしろ“頑張りすぎているから”です。
それなのに、もっと頑張ろうと無理をしてしまうのは、かえって“逆効果”になりかねないというのが、1つの真実なのでございます。
頑張れないときがあってもいい


頑張っても報われるとは限らない。
頑張れば頑張るほどツラくなってしまう。
それなら、「頑張るだけ無駄なのではないか」と、そう思う方もいらっしゃることでしょう。



救いはないのですか???
ですが、頑張りが報われたときはやっぱり嬉しいですし、“何かを頑張る”というその行為自体が、1つのかけがえのない人生経験になることもあると僕は考えています。
なにより、何かにおいて結果を残す人というのは、ただ運や才能に恵まれているだけでなく、人一倍の努力を積み重ねている人たちであるというのも間違いないでしょう。



頑張ってる人間はカッコイイもんさ
ただ僕がお伝えしたいのは、『頑張ることだけがすべてではない』ということです。
報われる/報われないという結果に振り回され、「もう頑張りたくない」とつらくなってしまうくらいなら、頑張れないときがあってもいいのだと、そういいたいのです。
実際に僕自身、「頑張ることは偉いこと」という固定観念に縛られすぎて、どんなにつらくても
「もっと・・・もっと頑張らないと・・・」
と、自分に厳しく当たりすぎてしまっていました。



頑張ってる自覚すらもなかったわ・・・
そして、そのストレスが蓄積し、気づけばメンタルを病んでしまっていたのです。
うつという精神疾患を患ってはじめて
「無理しないって大切だったんだな・・・」
と気づくことができました。



自分を犠牲にするのは当たり前じゃないんだぜェ??



自己犠牲精神が美化されすぎてるところあるよな
「頑張らないと認めてもらえない」
「頑張れない自分に価値はない」
そのような常識は、大人たちに植え付けられた歪んだ価値観の1つにすぎません。
頑張りたくないときは、頑張らないでもいいのです。
楽をするときがあっても、サボるときがあってもいいのです。
人という生き物は、自分で思っているよりも、ただ生きているだけで頑張っているものです。
頑張ることの本質
とはいえ、先程も記述したように、僕は“頑張ること”そのものを否定しているわけではありません。
望み通りの結果を出すためにはある程度の頑張りは必要になってきますし、何かを頑張ること自体はとても素敵なことです。
そこで重要なのが、『頑張ることの本質』を理解すること。
ただがむしゃらに頑張るのではなく、より“本質的に”頑張ることで、人生の生きやすさを獲得することができるのです。



“本質”って??



まあそう慌てるなベイビー



夜はまだまだこれからさ
そんな『頑張ることの本質』について、以下の記事にて詳しく解説しております。


ぜひ併せて一読くださいまし。
まとめ


以上で、『頑張りは報われるのかどうか』という記事を終了します。
今回のまとめです。
- 頑張っても報われないこともある
- 頑張れば頑張るほどツラくなる
- 頑張れないときがあってもいい
- 重要なのは、『頑張ることの本質』を理解すること
さいごに


最後までお読みいただきありがとうございます。
頑張りが報われないときは、つらく苦しいものです。
ですが裏を返せば、「つらい」と嘆きたくなるようなときは、自分で思っている以上に頑張りすぎてしまっているときだということもできます。
どうかその自分自身の頑張りに、気づいてあげてください。
そして、どうかその自分自身の頑張りを、もっとねぎらってあげてください。
たまには頑張ることを諦めて、お高めのアイスでも頬張るときがあってもいいのではないでしょうか。



頑張るお前さんも素敵だが



頑張れないお前さんだって、ワイは愛すぜ?



せ、先生ぇ~!!!
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それでは、今回はこの辺で。



アディオス
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